HERO

≪3≫





ホテルから数分歩いたところに、波止場が見えた。
その上に函館山が聳え立っており、山から波止場までが坂となって、その所々に教会や歴史を感じさせる建物が点在していた。夜だというのに、観光スポットらしく、蘭達が泊まっているホテル周辺よりもずっと人で賑わっている。
港に面した道の上に、定間隔で置かれたイギリス風のオレンジ色の電灯が季節はずれのクリスマスツリーを淡く照らしている風景は、趣きが感じられる。
不意に昼間コナンが言っていた事を思い出した。

ここは、サンタの住む町だから一年中クリスマスが楽しめるんだって。

思い出して、蘭は溜息を吐く。
こんなときにまでコナンを思い出してしまう自分に苦笑する。

(保護者じゃないのは確かよね・・・)

そう思って、さっきのコナンに対して自分が取った態度に後悔した。
気持ちをもてあまして、相手を傷つけるなんて。ましてや相手はまだほんの子供なのに。

(コナン君に悪いことしちゃった)

明日こそは笑って謝りたい、そう思って。
なんとか、今の気持ちを落ち着けようと、蘭は1人海辺に近い場所でぼんやりとしていた。







***

「あの。すみません」
「え?」
不意に話しかけられ、振り返ると、そこには、観光客らしい青年が1人。
年は20代後半だろうか、人懐こそうな笑みを浮かべた顔は落ち着いている。
髪型は、少し伸びかけの深い青色の髪を後ろで一つに纏め、服装は白いシャツにジーンズという井出達だ。
「何か?」
見知らぬ土地で1人でいた蘭は、少し訝しげに答えた。
すると、青年は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「いや、妻を捜してるんだけど・・・この人、知らないかな?」
そう言って差し出しだされたのは、1枚の写真。
写っているのは、ツーショットで、青年は女性の方を指で示した。
その女性は、年頃は20代半ば位で、可愛らしい感じの丸顔に、肩まで伸びた緑色の髪が特徴的で。
青年と比べて身長差があるらしく、小柄な印象に見えた。
だが、蘭には見覚えはなく。
少し申し訳なさそうに、青年に写真を返した。
「・・ごめんなさい、見てないと思います。私もついさっきここに着たばかりですから・・」
「そうか・・」
これまでにもずっと探し続けていたのだろうか、青年は落胆の色を隠せずに溜息をついた。
その表情に、他人事ながらつい心配になってしまう。

「よかったら一緒に探しましょうか?」
「いいのかい?」
少し驚いた顔で、男性が蘭を見た。
蘭は小さく微笑むと、ええ。と頷いた。

「ありがとう。・・・じゃあお願いしてもいいかな?一回りした後でまたここで落ち会おう」
「はい」

彼はさっき見せた写真を蘭に渡し、探し人の特徴を少し細かく伝えた。
ふた手に別れて探そうと言う蘭に、思い出したように自分の名前を名乗る。
「言い忘れていたけど、僕は雅人。彼女は花煉と言うんだ」
「私、毛利蘭と言います」
「じゃあ蘭さん、30分後にここで落ち合おう。
・・あまり人のいない所には行かないでいいからね?」
最後に、蘭を心配して念を押すと、雅人は波止場から山の方へとと歩き出した。

彼の姿を見送った後で、蘭はきょろきょろと辺りを見渡し、近くの建物へと入っていく。
先ほどの彼とその連れの女性が泊まっているのはここからバスで10分ほどの駅前のホテルだと言っていた。ならば、連れがいるのに女性一人、バスに乗って駅周辺に帰ることはまずない。
おそらく、店内にいるかもしれないと思ったのだ。

波止場周辺の店は多くが同じ建物の中に入っていて、言わばショッピングモールのようなもので、それがいくつか点在していた。
外装はレンガで出来ており、昔の倉庫群を改装して、今は観光客のみならず、地元の人間も楽しめる店が所狭しと軒を連ねている。
店内は、主にガラス細工などの装飾品、お菓子、土産を兼ねた衣料品に、ワインや海産物など地元名産の数々があり、中でも蘭の目を引いたのはガラス細工だった。

店内に入ってすぐのスペースに、様々なガラスのアクセサリーがキラキラと輝きを放っている。

カントリー風に装飾された店内に迷いがちに足を踏み入れると、
蘭はカウンターに飾ってあったエメラルドの指輪を手に取った。
(・・・これ、似てるかも)

ふいに蘭の脳裏に蘇ったのは、去年の誕生日の事。

『蘭ねーちゃん、誕生日おめでとう』
去年の蘭の誕生日に、コナンが初めて誕生日プレゼントをくれたのだ。
いつも美味しいご飯を作ってくれるし、
蘭ねーちゃんにはいつも危ない事して心配かけてるから。
そう言って、照れ臭そうに手渡されたのは、四葉の形をあしらったエメラルドが付いた銀のブレスレット。
『ごめんね、ボク子供だからこんなのしか用意できないんだけど・・』
コナンが用意したものは、確かに高価とは言えなかったが、当時蘭が欲しいと思っていたものとよく雰囲気が似ていた。
『そんなことないよ、コナン君がくれたものだもん。嬉しいよ・・ありがとう』
蘭がブレスレットを手首に嵌めて見せると、コナンはすごく嬉しそうな顔をして。
蘭にとって、手渡されたプレゼントと同じくらい、その笑顔が嬉しかった事を思い出す。

そんな昔の出来事を思い出して、蘭の顔に一瞬穏やかな笑みが浮かぶ。
でも、それはすぐに霞んでしまった。

(・・これからどうなっちゃうのかな?)

優しい記憶は、つい昨日のことのように思い出せるのに、思い出せる事が余計に今を不安にさせる。
全てが思い出になってしまいそうで。

このままでいたいと思う気持ちと、いつか訪れる別れへの不安は比例していく。

ずっとこのままでいたいなんて、無理なのは分かっている。

それでも。

(・・・このままでいたいって思っているのは、私だけなのかな・・?)
新一に似てるだとか、代わりだとか思ってないんだよ?
ただ、心強い存在だと、遠くに感じて今更ながらに気付いた。

『コナン君は蘭おねーさんが好きなのよ』
不意に浮かんだ、歩美の言葉。

(本当にそうだったらいいのに)

同時に、いつかのコナンの声が頭に蘇って・・・泣きたい気持ちになる。

『大丈夫だよ』

(大丈夫じゃないよ・・・)

こんな風に思ったのは、新一がいなくなった時以来だった。
新一が姿を消して連絡がなかった数日間、夜も眠れなかった。
今も同じような気持ちだ。
気持ちを落ち着けようと思って1人逃げ出してきたのに、考えれば考えるほど、いろんな気持ちが溢れてしまいそうになる。
(・・・ああ、なんでこんな時にあんな事思い出しちゃうのかな)
蘭は、頭を切り替えるつもりでぶんぶんと首を横に振った。



(――今は、人探しが優先)

不安な気持ちを押し退けて、ただ目的の人を探すためだけに、蘭は早足に店内を巡っていった。





















30分後、結局店内やその周辺に花煉らしい人を見つけられぬまま、蘭は待ち合わせ場所に戻ると、
暫くして雅人が姿を見せた。
「ああ、お待たせ。やっぱりそっちも見つからなかったんだね」
「はい。一応お店の中も見たんですけど・・・」
「うーん・・・・どこに行ってしまったんだろう」
「携帯は持ってないんですか?」
「ああ、いつも一緒にいたから必要ないかと思ってたんだけど。こんな事があっては、今度から持ってないとダメかもしれない」
雅人は苦笑した。
「蘭さんって言ったね・・・付き合わせて悪かったね。もう帰ってもらっていいよ後は1人で探すから」
「そんな、私も探しますよ」
蘭は即答した。
放って帰る気にはなれない。2人がかりで探したのに、見つからないのだ。1人で見つかるはずがない。
・・・それに、内心まだ帰りたくなかった。
「まだ時間そんなに遅くないし・・それに気になりますから」

蘭の返事に、少し戸惑いつつも、見かけによらず頑固な蘭の眼差しに雅人は苦笑した。

「・・じゃあとりあえず少し休もう・・・・休んでいる間に彼女の方から来てくれるかもしれない」

確かにこれ以上動き回っては、追いかけっこになってしまう恐れがある。
蘭も同意した。

立ち並ぶ建物の合間に港に面した中庭のような場所に、ベンチを見つけて二人はそこに腰かけて休む事にした。
港と通りをはさむその場所からは、海と、彼が妻と待ち合わせをしたという通りの一角が一望できる。

雅人が近くの売店で買ってきた缶ジュースを受け取り、一口口に含むとほっと息をついた。
暖かい飲み物が喉の奥を流れて、冷えた体に心地良かった。


「そうだ・・僕と妻の話を聞いてくれるかい?」
ふいに雅人が口を開いた。
唐突な雅人の言葉に、蘭は少し驚いたが、すぐに小さくはい、と頷いた。

「僕と妻はね、ずっと昔からお互い知っていたんだ。年の離れた幼馴染、みたいなものかな」
幼馴染と言う言葉に、なんとなく反応してしまう。

「それで・・・ずっと一緒にいたんだけど、思いを通わせるのに長い年月がかかってしまった。」


出会った頃。
「年の差があったし、周りの目とかもあった・・・まぁ僕はあまり気にしてはいなかったけれど、彼女は女の人だから。男の僕より思う事が多かったみたいでね」
仲は良かったと思うんだけど、一度離れ離れになってしまった。
お互いにもう二度と会えないと思っていて。
「彼女は他の男と結婚するつもりでいたらしいんだけど」
実際その相手は、雅人だったという。

「まぁ無理もないんだけど・・・
でも、僕は最初から彼女をお嫁さんにするって決めていたんだ」


淡々と話す雅人の口調には、照れなどはない。
ただ、彼女の事を大切に話す彼は、彼女の事を心底大切に思っているのが窺い知れた。
そして、彼にそんな風に語られる彼女もまた、彼のことを大切に思っているのだろうと感じた。

「幸せなんですね」
蘭が呟くと、雅人はそこでようやく照れたように微笑んだ。
「うん、幸せだよ」

雅人の暖かな笑みに、吊られて蘭も自然と笑みがこぼれる。
雅人と、まだ見ぬ妻のように。
こんな風に、2人で時を分け合えたらこれ以上の幸せはないかもしれない・・
蘭は心の中でそう思った。



「僕の惚気話に付き合ってもらったから、今度は君の話を聞かせてくれないかい?」
「え・・私は何も話せるようなことはないですから・・・」
「そうかい?そんな風には思えなかったけれど」
「・・・・・え?」
驚いた表情の蘭に、雅人は苦笑した。
「ごめんね、なんかなんとなくそう思ったんだよ」
雅人はそう告げた後で「別に嫌なら話さなくてもいいんだ」と付け足した。

蘭は、返事をしなかった。
ただ、飲みかけのコーヒーを両手で持ち、眼前に広がる海を見つめた。
海は、静かに波を漂わせて闇に解けてゆく。
無言の時間も、気にならないほど辺りは静かだった。

雅人の方を振り返ると、彼も海を眺めていて蘭の視線には気付かない様子だった。
否、気付いてないふりをしているのかもしれない、と蘭は思った。
会ったばかりではあるが、短い時間にも関わらず、温厚そうな気質の裏に、どこか研ぎ澄まされたものを感じていたから。
優しいだけじゃない、大きな何かを感じて、なんとなく、話してみようかという気持ちになる。

やがて、蘭はゆっくりと口を開いた。

「・・あの、聞いてくれますか?」
「ん?もちろん」

穏やかな笑みを浮かべた雅人に、少しほっとして蘭はぽつりぽつり、語りだした。
幼馴染の事。
傍にいる少年の事。






















***

「そうか・・・」
蘭が話し終わると、ポツリと雅人が呟いた。
「ごめんなさい、こんな話やっぱり変ですよね・・」
「いや、人生悩み事は尽きないものだから。
大切にしているものなら尚更・・・悩みは一生付いてまわるさ。
私と妻だって一緒にいられるようになるまで長い道のりだったし、これからも新たな事が沢山待ってると思うんだ」

それでも越えられると思うのは、越えたいと思うのは、好きだから。

「大切に思ってるんだね、その彼の事」
「・・・・・」

「でもね、悩み事からは逃げちゃいけない。向き合って一つ一つ越えていくしかないんだ。
お嬢さんは、1人で抱え込んでみるみたいだけど、
それを彼に打ち明けようとは思わないのかい?」
「え・・・・」
雅人の意外な言葉に、蘭は思わず雅人を見つめた。
・・打ち明ける?
打ち明けられるはずがない。
だって相手は・・・子供だから。
それに打ち明けてどうなるの?

蘭は無言だったが、表情で返事を察したのだろう、彼は優しく笑った。
「・・・難しいかな?」
今度は蘭があいまいに笑う。

「でも、彼も辛いと思うよ」
「え・・・」
「君が自分のことでそんな顔をしていると知ったら、彼もきっと辛いだろうね・・・君が思うと同じ位に彼も君の辛さを感じてると思うから」



「お互い大切だって気付いてる」
「お互いかどうか分かりませんけど・・・」

蘭の言葉に、雅人が苦笑した。
蘭には、その意味が分からなかったが、雅人は言葉を続けた。

「でも、一緒に越えられたら、1人よりずっと心強いと思わないかい?」
恋人じゃなくても、年が離れてても、相手を大事に思う気持ちに区別なんてないんじゃないかな?


雅人の言葉に、はっと顔を上げた時、背後で女性の声がした。

「雅人さん!」


「あぁ、花煉!やっと会えた」

雅人がベンチを立ち上がると、通りの向こうから緑色の髪をした小柄な女性が駆け寄って来た。
思わず立ち上がった蘭に気付いたその女性は驚いた顔で雅人に訊ねた。
「あれ、この方は・・・」
「ああ、一緒にお前を探してくれたんだ。でも、ずっと探し回ってたもんだから、のどが渇いてしまってね。今お茶を一緒に飲んでたところだったんだよ」
「ああ、そうなの。ごめんなさい!私最初から待ってれば良かったのについ歩き回っちゃったから・・」
花連は雅人と蘭両方に頭を下げて謝った。
「いえ、私そんなたいした事してませんから・・・」
「うんうん、平気だよ。僕だって花煉と同じで、早く見つけたくて探してたんだ」
雅人は笑顔で言うと、花煉もやっとほっとしたのかにこっりと微笑んだ。

やっと再会した待ち人同士のように、顔を綻ばせる2人を眺めていると、
なんとなく自分と新一がダブってしまった。
会いたい。と―。
そう思った時、蘭にとって聞きなれた声が聞こえた。

『花煉さん?見つかったの?』
「あ、うん。見つかったよ、今どこにいるの?」
どこからともなく聞こえてきた声に驚いた様子の雅人に軽く微笑むと、花煉は胸元につけたバッジに話しかけた。
「それって・・・」
蘭は迷いがちに花煉に声をかけた。
一瞬聞き間違いかと思ったが、彼女の持っていたバッジには見覚えがあった。
阿笠博士の発明品。発信機付小型トランシーバー。
「ああ、これはね・・・」
花煉が説明しようとしたとき、バッジ越しではない声が聞こえてきた。

「・・・蘭ねーちゃん!?」
「コナン君?」

コナンは蘭達のすぐ傍まで駆け寄ると、両膝に両手を付いた。
結構走ってきたのか、肩で息をしている。

「ああ、コナン君の探してる人、このお嬢さんだったのね?」
先に話しかけたのは可煉だ。
「あ、うん。そうだよ」
「良かった、一緒に見つかって」
花煉がにっこり微笑むと、コナンも微笑み返した。

「・・・それにしても、汗びっしょりだね、大丈夫かい?」
滲んだ汗が前髪を濡らして額にぺたりと張り付いているのを邪魔そうに手で掻き上げるコナンに、雅人が鞄の中から持っていたハンカチを差し出した。
「ありがとお兄さん。
・・・坂の上見てきたんだ。もしかしたらと思ったから…。」
「ええ?だってまだ20分も経ってないよ?」
花煉が目を丸くした。
函館は坂の町と言われるほど、坂の多い街だ。
しかも、一口に坂の上と言っても、地形的に土地全体が斜面になっているため、一回りともなれば、にはかなりの距離だというのは簡単に想像がつく。
「ま、ね…。」
さすがにきついのか口数が少ない。
それまで蘭達が腰掛けていたベンチに座ったコナンに、
「なんか飲み物を・・」
雅人はそう言うとちらっと蘭に視線を向けた。
目が合うと、それまで黙っていた蘭はようやく飲みかけの缶をコナンに差し出した。
「コナン君、これ…」
「ありがとう」
蘭から缶コーヒーを受け取ると、コナンはすぐに嬉しそうに口に含んだ。
だが、ホテルで自分が取った行動を思い出して、戸惑いを隠せない蘭は逃げるように花煉に話しかける。

「でも、どうして、花煉さんが探偵バッジを?」
「雅人さんを探してたら、コナン君に会ったんだよ。そしたら彼も人を探してるから一緒に探してくれるって言ってくれてね。途中まで一緒に探したんだ。でも私こんな靴だからすぐに足が疲れちゃって」
可煉が指差した足元には、ピンクのヒール。
流石に市内散策には向かないかもしれないと蘭は思った。
そこで、少し復活したコナンが口を開いた。
「バッジを渡して待っててもらったんだ。これがあれば、僕の眼鏡で追跡できるし、花煉さんと合流するのも楽だしね」
「そうだね・・」
返事がぎこちない。
そんな態度を取ってしまう自分に呆れながら蘭はぎごちない笑みを浮かべた。


しばらくして、飲み干した缶コーヒーをコナンがゴミ箱に捨てると、それまで花煉と話していた雅人が蘭に声をかける。
「じゃあ、蘭さん僕たちはこの辺で」
「あ、はい!」
「今日は本当にありがとう。迷惑かけてすまなかったね」
「いいえ、こちらこそ・・ありがとうございました」
蘭の言葉に、雅人は笑った。
そして、ちょいちょいと手招きする。
「?」
不思議に思って、蘭が1歩歩み寄ると、小声で呟いた。


「・・・ありがとうございます」
「うん、頑張ってね」










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