優しいあの場所まで
≪2≫


学校を出た頃にはまだ茜色に染めていた空がすっかり暮れ、月が姿を現した頃、青子は帰宅した。

手には下校途中に寄ったスーパーの買い物袋と、学生鞄。

ぱんぱんに詰った買い物袋を台所に置き、ほっと息を吐いたのも束の間、時計を見ると既に7時を回っていた。
「やだ、お父さんが帰って来る前に急いで夕飯作らなくっちゃ!」
思ったよりも帰ってくるのが遅くなってしまったのに気付いて、制服のまま台所に立った。
今日は早番だから早く帰って来ると出がけに言っていた。
ここのところ、忙しい日々が続いてゆっくり夕飯を食べられなかった銀三においしいものを食べさせたくて、銀三の好きなものばかりを作るつもりでいたのだ。
「さあて、はりきって作っちゃうんだから」
買って来たものがさがさと袋から取り出し、調理していく。
焼き魚にサラダにからあげ…。
あっという間においしい香りが台所中に広まる。
作っている本人さえも食欲をそそられ、ほんの少し味見をしつつ、うんうんと頷き次の行動に移る。
短時間で何品も作る手際の良さは日頃の習慣のなせる技。学業と家事をこなす青子の特技の一つだった。
もともと料理好きなのか、父と二人で暮らすようなり日課になったのはかなり前だが、高校生になり、なにかと忙しくなった今も、苦と感じたことは一度もない。
慣れもあるのだろうが、何より青子が作った料理をおいしいと言ってくれる人がいて、その喜ぶ顔を見られるのが嬉しかった。

「んー上出来♪」

出来上がった料理を味見して、皿に盛り付けると、両手を腰に当て満足気に青子は胸を張った。
我ながら久々のご馳走だと思う。
食卓に並べられた料理を前に青子に自然と笑みがこぼれる。
その表情はいつもの青子だった。
「早く帰ってこないかな」
制服を着替えて、食卓に座る。
銀三を待ちながら、何気無くテレビをつけてみたものの、特に気のひくものはなくて、ただぼうっと画面を見つめた。

(暇だなぁ〜)

することがなくなり、暇になった青子の頭に、

『黒羽君が好きなの?』―――

ふいに、図書館での一件が蘇る。



頭の中で、繰り返される光景に思わず溜息が漏れた。
ついさっきまでは、料理に夢中で考え事をする余裕がなかなったのに。
手元に集中していたせいで、忘れられていた事。



(急にそんな事言われたって・・・・)



びっくりしていた。

迷った挙句、幼馴染だと言ったものの、内心戸惑いを隠せない。



・・・・それに。


(快斗は・・・どうするんだろう)


青子がどうもしなくても、想いを寄せられてるのは快斗なのだから。


(快斗に彼女ができたら・・・青子は―)

その先を思って、青子は鼻先がつんと熱くなった時、電話が鳴った。

「・・・・―おとうさん、かな?」

青子は急いで受話器を取ると、案の定銀三からだった。

「青子、わしだ」
「どうしたの?」
「すまん今日は遅くなるから」
「え・・・そうなの?」
「キッドの予告日が近いからな。準備があって長引きそうなんだ」

そういえば今度の日曜日から都内近郊の美術館に展示予定の宝石を盗むという予告状
が出されたと、数日前にテレビが騒いでいたのを思い出した。

受話器越しにも忙しなさが伝わってきた。

「そっか…じゃあ仕方ないね」
「今日は早く帰るつもりだったんだが・・悪いが帰りは夜中になるから夕飯はいらないよ」
「うん」
「…どうした?」
「え」
「なんか元気がないな」
「そんなことないよ。」
意外な父の言葉に、思わず焦る。
慌てて声のトーンを上げた。
「…さては、快斗君と喧嘩でもしたんだろう?」
「ち、違うよ〜」
快斗の名前にどきんと心臓が跳ねた。思いも寄らぬ銀三の発言に青子は力強く否定し
たにもかかわらず、逆に銀三は図星と思ったようで。

「まあ喧嘩するほど中がいいっていうからなあ」
「もう、違うっていってるでしょ!」
「そうか?…じゃあそういうことにしておこう。なあに、すぐに仲直りできるから心
配いらないぞ。それじゃあ戸締まりに気をつけてな」

銀三はどこかのんびりとした調子で笑うと、一方的に納得すると電話を切ってしまった。

「・・・・ちょっとぉ、なによそれ」
青子は脱力した。
仲直りもなにも、そもそも青子は快斗と喧嘩などしていない。なのに青子に何かあった時は快斗絡みだと銀三は思い込んでいるらしかった。
…もっとも、今の青子の頭の中は快斗で占めていたのは事実だが。

「・・・無駄になっちゃった」
出来上がった料理を一瞥して、青子は気が抜けた代わりに、頭の上をもたげていた事柄がずんとのしかかってきた。









食事を取る気にはなれなくて、青子は電話を切ってそのままお風呂に直行した。
気分転換になるかと思って、いつもよりも長めのお風呂に浸かってみた。
でも、多すぎる夕飯をそのままにするわけにもいかず、1人簡単に食事を済ませると、早々に2階の自室へ向かった。
青子は部屋に入るなりベッドの上に転がり、枕に顔を埋めて目を瞑ると同時に、一日と疲れと同時に今日あったことが溢れてきた。

静まり返った部屋の中で、青子の頭の中だけが忙しなくぐるぐると揺れ動く。



図書館を出てからずっと頭の中から離れない。



(快斗に彼女ができたら…)



きっと今までみたいにはいられない。

それは青子にも前から分かっていたことだった。
でもあまり深く考えたくなくて、考えないようにしていた。
できるならもう少し今のままで過ごしていたかったから。



そういえば、前に紅子が言っていた。
スキー合宿の時、打ち明けられた告白を思い出す。

―私は好きよ、黒羽くんのこと―

あの時。美人でクラス中の男の子達を虜にしている紅子の想い人が、快斗だという意外さに驚き、そして楽しんでいたが、今になって考えてみると、彼女の想い人が自分の幼馴染だという事実よりも、彼女のはっきりとした態度が羨ましく思えてくる。

言葉は想いの強さと比例する。
快斗を好きということ。それは紅子にとって確かでゆるぎない気持ちであって、他人に告げることすら厭わないほどの強い想いなのだ。
もちろん今日の同級生も例外ではない。好きな想いに自信に満ち溢れていて、真っ直ぐに見据えている彼女達を素敵だと思った。

快斗がみんなから好かれるのはいいことで青子にとっても嬉しい。
けれど、それに引換え青子は、と思うと焦りにも似た気持ちが湧き上がって。

(青子は・・・・・・・・?)

青子は、自問自答してみる。



快斗は・・・・・やっぱり大切な、大切な幼馴染で。

そんな快斗を。

(好き、なのかな…)



けれど、恋かと言われるとよく分からない。



端から見たら色んなことを思わせるのかもしれないけれど、当の本人は鵜呑みにできるほど簡単ではない。
快斗が好きだと思っただけで、心が跳ねて顔が火照りだすのが分かる位、馴染めない感覚で。

青子には、ぴんと来なかった。

あまりにも身近すぎているのが当たり前だったから。
なのに・・・快斗の事を好きだという彼女の真剣さを思うと、なんだか自分がとても不誠実に思えて。


(でもそしたら青子、快斗の傍にいちゃいけないのかな・・・・)


―考えただけで、胸がざわつく。

胸の奥がぎゅうっと締め付けられるように痛くて、苦しい。


(幼馴染だからってだけじゃ一緒にいちゃだめなのかな…?)


幼い頃、刑事という仕事柄昼も夜もなく働いていた父親。それでもやっと交わした約束を必ず守ってくれると信じて待っていたのに結局果たされることはなくて、悲しんでいた青子を励まし笑わせてくれた。
小さな頃から快斗はマジックが上手で。初めて会ったときも、その手からバラの花を青子に見せてくれた。

『オレ、黒羽快斗ってんだ。よろしくな!』

差し出された綺麗な薔薇の花。
はじめてみた手品。

今にも泣きそうになっていた気持ちを一瞬で忘れさせた。

それからは寂しい時、いつも青子を笑わせてくれたっけ。
喧嘩もするし、意地悪だけど快斗がいれば寂しくなることはなかった。



(最初から気障、だったよね・・・)



優しい思い出が鮮やかに蘇ってきて、自然と笑みが浮かんできて…少しだけ気持ちが軽くなる。
…同時に快斗のいない未来予想図など、何一つ思い浮かばないことに気付いた。



(ずっと一緒にいたい、けど・・・・)



でも。いつかは――。

いつか大人になっていく道のりの途中で、快斗と青子はいつまで一緒にいられるのだろう。



いつか、快斗が誰かを好きになって。誰かを選んだら。



(…一緒にはいられないよね)



幼馴染。

唯一二人を繋ぐものなのに。

幼馴染ではずっとはいられない。



そう思うとたまらなく哀しくなった。







「青子、どうしたらいいんだろう・・・・」

湧き上がる不安を必死に食い止めながら、青子は眠れない夜を過ごした。



20060610



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