――――――――――

 背中を貸してよ
――――――――――









少年探偵団の面々と博士と共に、出掛けた先で遭遇した事件を解決したコナンが、蘭達の待つ探偵事務所に戻ってきた頃にはもう夜更けだった。

小五郎はいつもと同じように酒を飲んで、リビングでそのまま寝ていたが、帰る前に電話を入れておいたので、出迎えてくれた蘭は怒る事はなかった。かわりに、コナンを見るなり心配そうに顔を覗きこんできた。

「コナン君、大丈夫?・・・具合悪そうだよ」
蘭は屈んで、自分の手の平を、コナンの額に押し当てた。熱はないらしい。
心配させたくなくて、コナンはそっと蘭の手をどけると、子供っぽく笑った。
「多分風邪だと思うから平気だよ、蘭ねーちゃん」
じっとコナンの顔を見ていた蘭は、何処か諦めたような表情ではぁと溜め息を吐いた。
それでも念を押すのを忘れない。
「でも、今日はお風呂入ったらすぐ寝るのよ。夜更かししちゃダメだからね」
「・・はぁい」
別の寝室なのに、バレバレなのかとコナンはバツが悪そうな顔をしつつ、頷いた。

蘭はそれ以上は何も言わずに、コナンの夕飯の準備に台所へ行ってしまった。
おそらく、また何か事件に関わっていたのだという予測は、簡単についてるには違いない。
だが、コナンが行く先々で事件に遭遇して、それに関わってしまう性分だという事も十分知っているし、特に今回は博士が一緒ということもあるのか、それ以上の追求はなかった。それでも、心配をかけているという事には変わりはなく、気の利いた事を言えない自分が嫌だった。

蘭が用意しておいてくれた夕飯を食べると、早速コナンは風呂へ直行する。
日起きた事を思い返しながら湯船に漬かり、コナンははぁ、と溜め息をついた。
ずっと推理に夢中になっていて、体調の悪さなど全然気にならなかったのに、今更になってどっと疲れが押し寄せてきた感覚を覚える。
こういう時、思い通りに身動きが取れずに、小学生としての体の限界を感じるのだ。
それでも、風邪を引くと厄介なので、ゆっくりと湯に漬かっておかないとまずいか・・・、と思いながら、浴槽に持たれかかってぼうっとしていた。



風呂から上がると、蘭に言われた通り、コナンは早々に寝室へ引き上げた。部屋には、すでに小五郎のベッドの脇にコナンの布団が敷いてあった。おそらく、コナンの体調を気遣って、蘭が先に敷いておいてくれたのだろう。
部屋の電気を消し、ごろんと布団に寝転がった。
横になって、ふいに視線を動かすと、昨夜寝る前に読んでいた小説が、部屋の隅に置きっぱなしになっているのが目に付いた。一瞬どうしようかと迷ったけれど、やはり小説の続きが気になって、本に手を伸ばす。
そして、枕元に置いてあった電気スタンドを付けて、続きを読もうとした時。

「平気みたいだな」

頭の上から、突然声をかけられて、コナンは思わず身を堅くした。
ゆっくりと声のした方向に視線を向けると、コナンの予想通り、見慣れた白い衣装を纏った怪盗が、開け放たれた窓の向こうのベランダの手摺に座ってこちらを見ていた。
・・いつからいたのだろう、と思ってコナンは心の中で唸る。
さっき、部屋に入ってきた時はベランダには誰もいなかったはずなのに。・・・もちろん仮にも怪盗なのだから、気配を隠すくらいなんてことないだろうが、声を掛けられるまで気付かなかった事に、思ったよりも疲れているのかと、コナンは顔を引き攣らせた。
面倒くさそうに、布団から起きあがると窓際まで歩いていく。すると、キッドはそれまで腰掛けていた手摺からはすとんとベランダに降り立った。
「・・何しに来た」
「ちょっと気になったから、様子を見に」
コナンは、むっとした表情でキッドを睨みつけた。

先刻の事件で遭遇したこの怪盗は、コナンのそんな態度も気にしてないらしく、口元に薄い笑みを浮かべている。
・・・実の所、今日の事件は宝石絡みの殺人だった。
殺人現場に居あわせたコナン達の前に、宝石の在処を示す暗号が置かれていた。謎があれば解き明かしたくなるのが探偵。単純にお宝探しをしたがっていた少年探偵団の面々につられて、ついコナンもその暗号を解く事にしたのである。コナン達以外にも、同じく暗号を解こうとした人間が数人いた。最終的に集まった人の中から犯人を挙げる事はできたのだが、なんだかコナンは釈然としない理由があった。

・・・変装したキッドに、助けられたのだ。
疑ってはいたものの、結果的に助けられたコナンはなんだか複雑な気持ちがしていた。

「何で、助けるんだよ」
「別に理由はねーよ」
「答えになってねぇ」
「“お前達が、俺の現場に居たから”」
何故、自分達を助けたのか、聞いたのに。
質問の趣旨を摩り替えられた答えに呆れながらも、わざとそうしているだろうキッドにコナンは睨みつける目に尚力が入る。

だが、中途半端に置き去りにしてしまった為、その後どうしたのか気になった、という事なのか。
それにしたって、何故ここまで来るのか納得がいかない。

「置いてったくせに」
「ハングライダーで運べるのは精々2人が限度なんでね」
呆れたような顔で平然と言う。
当然の返事なのだが、あからさまにコナンがおもしろくないと言う表情で睨むと、でも、一応、な。と続けた。
・・・・それなりに気になって様子を見に来たという所なのだろうか。


「ったく、人の周りをちょろちょろと動き回ってんじゃねーよ」
コナンが文句を言うと、驚いたようにくく・・と笑い出した。
「別に意図してそうしてる訳じゃないさ」
もっとも当然の答え。別に選んで現われる訳じゃないし、選べるはずもないのだから。単なる偶然の結果なのは分かってはいるが、つい言いたくなってしまったのだ。だから、キッドの苦笑が余計コナンの勘に触る。止まない苦笑が耳について腹が立ったコナンは、少しは黙れと言わんばかりにキッドを睨みつけた。
「お前見てると、ムカツクんだよ」
「そりゃご挨拶だな」
目の前の怪盗はコナンの態度を別に気にする様子もなく、この時間を楽しんでいるようだ。

もちろん、コナンにとってはそんなキッドの態度は面白いはずもなく、今日すでに何度目かの溜め息を吐いた。

・・・・気がつくと、いつも助けられている自分がいる。
以前j、蘭に正体がばれそうになった時に作った借りでさえ面白くないのに、最近はあの飛行機の時といい、今日は仲間すら助けられた。・・・何の為かは知らないが、都合よく現われるキッドに、コナンは苛立っていた。
『随分と、ハートフルな泥棒さんね』
灰原の言葉をふと思い出す。
その言葉に、コナンも多少頷ける所があった。
頼んでもいないのに、結果的に他人の恋愛の手助けまでした事のあるこの男。
コナンは、飛行機事故の時の事を思い出していた。
新一としてのキッドの態度と、蘭の言ったあの言葉・・・・返事をする事すらできずにいた自分。
仕事の為に変装した彼と自分を比較するものおかしな話だけれど・・・
・・・・こんな奴なら好きな子くらいすぐに手に入れられるだろう・・などと思ってしまう。

「・・・・ムカツク、泥棒の癖に。…何でも思い通りにしやがって」
「・・そーゆー訳でもねぇよ。偶然が重なっただけだ」

コナンの言葉の意味を分かりかねて、キッドは一瞬目を見開いたようだったが、意味が分かったのか、すっと真顔になって答えた。
「思い通り」という言葉に、一瞬眉を潜めたけれど。

「・・無いものねだりなだけかもしれないぜ?」
お前も、俺も、な。
「・・お前、も・・・?」
自分がキッドに対して、なら分かるが、キッドが自分に対して欲しがるものなんてあるのかと、訳が分からずコナンは問いかけた。
だがキッドは返事をすることなく、コナンを見ているだけで。
・・・そんなキッドの様子に、コナンは何か違和感を覚える。
暗がりで見えないキッドが今どんな顔をしているのか、気になって目を凝らしたが、普段からあまり感情を表に出さないその表情は、やはり何も映し出してはいない。それでも、何処かいつもと違う空気を感じて。・・・これが、彼の本当の顔なのかもしれないとぼんやりと思った。

黙ったままのコナンを見ながら、キッドはゆっくりと言葉を続けた。
「・・誰も、誰かの代わりなんてなれない。俺は俺でしかないし、お前はお前だけなんだぜ?」


そう言われても、コナンは黙っていた。
今度は意味が分からなかった訳ではなく、返す言葉が見つからなかっただけで。
心の中にわだかまっていたものが、すっと消えたような感覚を覚えた。
―本当は、ずっと手助けをされる事で、無意識に不安に思っていた事に気付いて。
今までなら全て自分でできた事が、コナンになってしまった為にできる事が限られてしまった。
そのできない部分を、楽に補ってしまうキッドの存在に、自分の無力さを思い知らされた。

・・・・ついこの前だって、自分や蘭達の前に現れたキッドの変装した新一の姿に、蘭は戸惑っていたようだが、やはり何処か嬉しそうだったと思う。
そんな蘭を見ると、自分が姿を現す事ができない代わりに、他の人間が彼女を喜ばせることができるならそれでもいいのかもしれないと納得する反面、やはりコナンとしては辛い。
その上、他の身の回りの人達すら助けられては、正直、コナンとしての自分の存在意義がないように思えてしまう瞬間があるのだ。
服部や、博士ならまだしも、自分を助ける理由が何も見つからない奴だから余計に。
だから、今日だって、別にキッドを捕まえられなかったから憂鬱な訳ではなかった。
ただ、不安を感じてしまっただけ。
・・・キッドはそれに気付いたのだろう。
そう思うと、今更ながら、自分がとてもカッコ悪く思えた。
キッドを見ると、クスクスと笑っていた。
「何考えてんだか知らねーけど、あんまり考え過ぎんなよ」
「・・悪かったな」
笑われて、むっとしながらも、コナンは、なんだか気が楽になった気がしてホッとしている自分がいる事に気付く。
だが、気持ちが落ち着いた所で、ふと、先ほど自分が言った言葉を思い出して後悔した。
キッドは、コナンの事を―新一を含め、―多分ほとんど知っているのに対し、
コナンは怪盗の正体は何も知らないという事を、改めて思い知ったのだ。
今まで本当の顔を知ろうなんて、考えたこともなかった気がする。ただの、泥棒。そう言い切っていただけだった。
何も知らないのだから、何も比べるものもないはずがないのに。
結局コナンの言った事は、怪盗の言った通り、無いものねだりで・・・言われなかったが、八つ当りでしかないのだ。
ふと、コナンの表情から、穏かな色が消えていくのに気付いたキッドが不思議に思い、首を傾げると、俯いたコナンが居たたまれなさそうに口を開いた。
「・・・・さっきは・・・」
ぼそりと、謝罪の言葉を耳にして、キッドは苦笑する。
「・・・たまにはいいんじゃないの?俺は大丈夫だから気にするなよ」

らしくなねーな、と苦笑するキッドにつられて、コナンも苦笑した。
気持ちが伝われば、それで十分だった。







キッドはそう言うと、帰る為に来た方向へと踵を返した。
コナンは、さっきまで抱いた感情を持て余す心はもうなくて、自然と顔が緩んでいるのに気が付き、慌てて顔を引きめる。
去ろうとしているキッドにまだ何か言いたいような気もしたが、言葉が喉から出てくる1歩手前で、先にキッドが肩越しに振り返った。

「じゃあな、また会おうぜ。名探偵?」
「・・・・あぁ」

素直に頷くコナンに一瞬だけ目を丸くしたキッドは、満足げに微笑むと夜の闇へと白い翼を広げて去って行った。











白いハングライダーで、空を飛びながらキッドはふと思う。

何もかも思い通りなんて、コナンは今までそんな目でキッドを見ていたのかと、多少頭を抱えたい気持ちになる。
(んな訳ねーだろ)
・・・奇術で幻を見せる事ができても、所詮奇術はタネも仕掛けもある。
未来を予測する事もできなければ変える事などできない。
変えられるとすればそれは人の思いに突き動かされた人の手によってのみだけ、だろう。
結局は、自分で掴むしかない。

「・・・・無いものねだり、か」

『・・お前、も・・・?』
訳が分からないという表情で尋ねてきたコナンの表情が目の前に浮かんだ。

実のところ、本来なら、自分の立場を危うくするほどのものなのにも関わらず、真っ直ぐに真実に向っていくコナンが、キッドは結構好きだったりするのだ。危なっかしくて、多少の危険を顧みない無鉄砲な所に不安を覚えつつも、勝気で迷いのない強さが、コナンにはあって。

怪盗キッドは・・・たとえ事実を追及したくて選んだ道でも、結局犯罪を犯している。
後悔はないけれど、決して胸を張って表舞台に立つ事は許されない・・・。
人を欺きながらも、手に入れられるものにどれほどの価値があるかなんて、知りたくもないけれど。
それでも、真相を知りたくて動き出したのだから、最後までやり遂げたいと思うキッドにとって、何処か似ている匂いを嗅ぎ付けながらも、自分には無いものを持つ探偵に惹かれている事を、コナンは気付きもしないだろう。


「素で会ったら、おもしろそうなんだけどな」

月の明かりだけが照らしている、冷たい空気に満ちた闇の中に翼を広げながら、快斗はふと呟いた。
本当の、姿でいつか。






――――――そんな思いが叶うのは、あとほんの少しだけ先の事。


 

コナン君弱すぎました・・・(何故?)コナン&キッドを書きたくて、キッドを優位にしたくて書いたら、こんな感じに(汗)
とある日の、気持ちの揺れたコナン君。こんな日もあるという事で。