幸せの後先



必要最小限の電灯だけが点った休憩所で、男2人。
休憩所とは言っても、幅広の廊下の一角を仕切り、3台の長椅子が所狭しと置かれ、壁際に数台の自動販売機が連なって設置されているだけの簡素な作りだった。
その長椅子に腰掛け、2人の刑事のうち、1人は缶コーヒーを啜り、もう1人は煙草を吹かしていた。


「あーあ」

缶コーヒーを啜っていた方の男が、ふいに口を開いた。
刑事なって3年目の黒羽快斗だ。黒のスーツに、ボタンダウンのワイシャツ。首元にかかるネクタイは緩められている。
ラフな格好をしている割に、だらしなさはなく、寧ろさりげなく品の良さを感じるのは、彼の持つ空気のせいなのだろう。
「もう年末かぁ」
12月になると、人々の多くが浮き足立った空気を醸し出してくる。
その空気とは相容れない快斗の気落ちした呟きに、隣で煙草を吹かしていた男ががゆっくりと頷いた。
快斗の同期であり、高校時代からの親友、工藤新一だ。
彼も黒のスーツを身につけているが、襟元を正し、きちんと締められたネクタイは清潔感があり、窮屈さを感じさせない。
2人共、髪型の違いを除けば、一見他人とは思えないほど似かよった顔つきをしていた。
だが、着ているもののせいか、それともそれぞれの持つ雰囲気のためか、快斗の方が子供っぽさを感じる。
「この調子じゃ、俺達クリスマスも仕事っぽいな」
快斗は同意を求めるように溜息混を吐きながら、新一を見た。
新一は、吸いかけの煙草を灰皿に押しつけて火を消すと、俺に言うな、と呆れた口調で返した。
「仕方ね―だろ。同じ公務員でも警察は年中無休なんだよ」
「今年こそは青子と過ごせると思ってたのによ。今年もお前と一緒じゃなぁ・・」

数年前、別の学校に通っていた2人は、信じられない偶然を重ね、怪盗と探偵、という奇妙な出会いを果たした。
その後、同じ大学に在籍し、同じ職業についた腐れ縁であり、去年などは2人して署内で新年を迎えた仲(?)である。

「そりゃお互い様だ。俺だって蘭と一緒にいたいんだよっ。誰が好きで怪盗崩れなんかと」
「何言ってんだよ。新一なんて迷探偵だろ?」
互いにムキになって言い返して、でもすぐに可笑しくなって2人で笑った。

少しの笑いの後、新一がぽつり呟く。

「でも、なんでオメー刑事になったんだよ?」

出会ってから、ずっとマジシャンになることを決めていた。その昔、快斗の父は世界的に有名なマジシャンで、新一も幼い頃にそのマジックショーを見て、幼心に凄く感激した事を覚えている。
彼の子供である快斗も、彼に憧れ、彼のようなマジシャンになりたいと思っていたはずだった。
それが、何故刑事になったのか。
その経緯を、新一は全く知らなかった。

刑事になって、初めて顔を合わした時に思った疑問である。
だが、なかなか快斗本人に理由を聞く事はできなかった。
何かあるのだと思っていたから。深入りしてはいけないと思っていた。
それが、今聞けたのは、忙しない日常が続く中、束の間の休息の何気ない会話の合間だったからかもしれない。
さほど意味を持たせないように、視線は前を見据えたままで、快斗の方を見ないままの新一に、快斗は意表を突かれたような顔をした。
だが、すぐに口の端に笑みを乗せる。
「なんで、マジシャンにならなかった?って言いたい?」
「・・・まぁな」
言い直されて、居心地の悪そうな声で、短く答える。
でも、快斗は気にしていないようで。

「俺は昔も今もマジシャンだぜ?」
快斗の言葉に、今度は新一が目を丸くした。
言っている意味が分からなくて、次の言葉を急かすように、快斗の顔を見る。
すると、快斗は缶コーヒーを持っていない方の手を新一の前に差し出した。その動作につられるように新一の視線がそちらへ動いたのと同時に、指を鳴らすと、目の前で紙吹雪が舞った。
同系色ばかり集めたそれは、まるで粉雪のように2人の間を白く照らす。
新一の頭や肩に、ひらひらと降り注ぐ。
「・・・舞台に立つのだけが、マジシャンじゃない。人の気を引けた瞬間が舞台なんだよ」

一瞬目の前の光景に視線を奪われた新一が、快斗を見ると、ふいに快斗がニヤリと悪戯な笑みを浮かべた。
それでも、どこか納得できないらしく。
「でも、満足してるか?」

「もちろん」
新一の言わんとしている事を汲み取って、快斗ははっきりと言い切った。
「そっか」
新一の納得した声に苦笑で返す。

正直言えば、迷いはあった。けれど、自分の言った言葉に嘘はない。
自分のした選択に、悔いなどない。それは自信を持って言える。
満たされていると、思うから。
それに、多分何も失ってなどいないのだ。全てはこの手の中に掴んだまま、大切にある。
生きてる限り失くしたなどと悲観するにはきっと早すぎる。
(・・・不満なんて言ったら、撥が当りそうだ)
心の中で呟いて、快斗は残っていたコーヒーを飲み干した。





「もう、こんな所でまたサボってる!」
一瞬妙に和んでいた2人の間に、平和そうな甲高い声が響いた。
声に真っ先に反応したのは、快斗の方。
振り返れると、濃紺の制服姿の女性が少し怒ったような顔でこちらに向って歩いてくるのが見えた。

中森青子。高校時代から付き合っている、元幼馴染で、現在黒羽快斗の恋人である。
現在は婦人警官として、刑事をしている快斗の同僚でもある。

快斗は椅子から腰を起こすと、飲み終わったコーヒーを軽くゴミ箱へと放り、青子の方へと近づいた。


「サボりっていうか、息抜きだろ」
「どっちも同じような気がするけど」
「全然違うって」
「まぁ、快斗のサボり癖は今に始まった事じゃないけどね・・」
学生時代、朝寝坊の常習犯だった快斗には耳の痛い話だったりする。その度に、青子に起こされていたのもさほど遠くない昔なのだが。
「あのなぁ」
「それより、捜査、上手く行ってる?」
快斗の抗議を遮って話題を変えた彼女に、乾いた笑いを浮かべる。
「年内には挙げられる」
「年内かぁ・・」
考えこむような青子の言葉の意味を察して、快斗はバツが悪そうに言った。
「・・一応予約とかはしてあるんだけどさ・・無理かもしれねぇ」
「・・なんで?」
「え?」
予想外だった。
「青子と快斗ってその日出番だよね・・?」
「あ、ああ」
歳末、余程の事情でなければ年明けまで連続出勤なのは当たり前。
尤もそんな時期に淡い夢を抱いているのは、恋人どうしだから仕方ないとして。
改めて確認して、ふわりと微笑んで見せた青子に、驚きに目を瞬かせる。
「じゃあ、一緒だよね・・・?」
「・・・・・」
「あっ、だから!・・青子達、年中一緒の場所にいるんだよ?恵子だって皆、別々なのに・・その、だからそういう意味で・・・!」
じっと見つめる快斗に、ようやく察しがついたのか、青子は慌てて取り繕うように言葉を並べた。
しかし、驚きの眼差しに耐え切れず、それだけ言うと青子は恥かしそうに視線を逸らしてしまった。
今度こそ快斗は言葉をなくして、ただただ彼女の顔を見入った。
 
去年まで互いに別の署に勤務していた2人が、今の署に揃って配属になったのが今年の春。
課が違うものの、同じ建物の中に居るだけあって、顔を合わす機会は多い。
最も、2人が恋人同士なのは以前から周知の事実だった。
幸か不幸か、婦警が刑事の心の片腕的存在だと思われている節があるのには、多少情けなさを感じなくもないが。
でも、実際否めない部分もあって。
けれどそれは、
どことなく高校時代隣同士席を連ねていた頃と似た距離感があって、嫌じゃなかったりする。
 
だが、これまで、青子のこういった職の選択に快斗は手放しで喜んでいた訳ではなかった。
未だに無邪気さを残す顔立ちの割に、芯が強く正義感を持つ彼女は割合この仕事が向いてるのかも知れないが、その反面、真っ正直な優しさと持つが故に快斗の心配の種だったりもして。
一緒にいたいと思う反面、危険に晒してまで近くにいてはいけないと思って。

けれど、
その考えを、たった1つの言葉と笑顔が打破したようだった。
最も、守るべきものは彼女だという思いが変わる訳でもなく、変えるつもりはないけれど。

こういうのも、悪くないのかもしれない。
 
「快斗?」
 
呼ばれて、我に返る。
小首を傾げて、じっと顔を覗きこむ青子と目が合って、長い事、物思いに耽っていた自分を自覚する。
何ぼうっとしてるの?」
口を開こうとして、快斗はふいに思い留まる。
ついさっきまでそこにいたはずの存在を思い出して、ちらりと後方を見遣ったが、すでにそこに新一の姿はなかった。
快斗は苦笑する。
そしてもう1度目の前に視線を戻すと、苦笑を緩ませた。
「・・青子」
「なぁに?」
それまで一言も喋らなかった快斗を不思議そうに見上げていた青子が頷く。
次の言葉を待って居るかのようだった。
けれど、快斗はそれ以上何も言わず、青子の顎に手を添え、青子の唇に自分のそれをそっと重ねた。
軽く触れるだけのキスで、すぐに顔を離すと、言うまでもなく驚いた目をしている。
でも、その表情で機嫌は損ねていないのが分かるから、快斗は口の端を持ち上げて笑った。
 
「・・あ、青子、そろそろ戻らなきゃ・・」
「俺も」

ぼっと音が出るような勢いで赤く染まった顔が、快斗の目の前でくるりと背を向けた。
ぎこちない動作で、離れて歩く青子の後ろをのんびりした歩調で歩く
刑事課と交通課は1階と2階に分かれている。
階段の手前で、じゃあね、と青子が小さく呟いた。
おー、とどこか気の抜けた声を返して自分の持ち場に帰ろうとして、ふいに思いとどまる。
青子の後ろ姿に向って、ぼそりと呟いた。
「・・クリスマス」
「え?」
幾分小さめの声が聞き取れず、青子は階段を降りようとした足を止め、聞き返す。
「いざとなったら、ここをトロピカルランドにしてやるよ」
今度ははっきりとした口調で、多少照れくさそうな顔に、青子は一瞬驚いたように瞠目したが、すぐに綺麗に微笑んだ。
「・・うん、期待してるね。怪盗サン」
 
軽く手を挙げ、快斗が応えたのを見て、青子は今度こそ持ち場に戻る為、階段を駆け下りた。


雑然と騒然さが同居する場所が変わるなんてありえないかもしれない。
けれど、快斗が言えば、そうなる気がした。
その場限りの取り繕ったものでなく、そう言う快斗は多分本気で言っている。
きっと、その言葉にふさわしいショーを青子に見せてくれるはずだと確信していた。

華やかな舞台は用意されるものでなく、作られるもの。
それを作るのが、快斗ならとびきり素敵なものになるに違いない。
これは彼のと昔から一緒にいる青子には理屈なしで分かる。

それに、快斗の言葉だけで、青子は嬉しかったのである。
本当は2人分かっているから。
一緒にいられることが、何より素敵だということを。
 
 
 
 




 









刑事ものと、クリスマスをドッキング(汗)。
でもやはり怪盗サン出さないと物足りないかも(苦笑)。
ちなみに、ここにはでてませんが、蘭を出すなら生活安全課です(こらこら)