さえぎられぬように |
「え?お父さんいないの?」 蘭は事務所に帰ると、一足先に冬休みに突入して家にいたコナンから、小五郎が今日明日と事件で遠出する事を告げられた。 「さっき依頼の電話があって、行っちゃったんだ。これが泊まるホテルの名前と電話番号だって」 事務所でいつも小五郎が座っている机から、ホテル名と電話番号が書かれたメモを取って、コナンは蘭に手渡した。 「そうなの・・今日はクリスマスだから、ケーキでも焼こうかと思ったのに」 残念そうに呟くと、蘭は両手に抱えていた買い物袋をテーブルの上に置き、メモを受け取る。買い物袋の中身はほぼケーキの材料のようだ。 「あれ?園子ねーちゃんとパーティーじゃないの?」 去年は園子の家に呼ばれていたのを思い出して、コナンが訊ねた。 「今年はやらないのよ」 昨日から園子が日本にいないのだ。 休みを待たずに海外へ家族旅行に行ってしまった。行き先が真のいるアメリカだということもあって、どうせだから意を決して真に会いに行き、一緒にクリスマスを過ごす作戦らしい。 「そうなんだ」 ラブラブ大作戦。いつしか園子が言っていた言葉をコナンは思い出す。 園子の思い人の天然ぶりに大丈夫なのかと他人事ながら心配になったりするが、毎度結果はそれなりに上手く行っているようなので今回もそれなりに成功してくるんだろうなとぼんやり思った。 「今年はコナン君と2人でクリスマスパーティーだね。期待してて、腕によりをかけて美味しいの作ってあげるから」 「うん」 コナンは上機嫌に返事をした。 2人でと言われて、悪い気はしない。 こんな姿でなければ、と思ったりもすが、こんな子供だからこそ、降ってきた幸せを噛み締める。 「・・そうだ、どうせだから今日はもう事務所しめちゃおうか?」 小五郎はいないし、こんな日にもう依頼は来ないだろうと蘭は手早く事務所を片付け始めた。 そして、いざ2人が2階の自宅に向おうとした時、事務所の扉を叩く音がした。同時に、勢い良く扉が開く。 「「「こんばんは!」」」 現われたのは、探偵事務所には不似合いな小学生が4人。少年探偵団の面々だ。 予想外の来客に、コナンは目を丸くした。 「おめーら、どうしたんだよ?」 にこにこと笑顔の3人と、その後ろで済ました顔が1人。 「やだなぁ、今日はクリスマスですよ」と光彦。 「今夜は七面鳥が食えるらしいぞ」と元太。 「今夜はうちでパーティーするの!」と歩美。 「だから迎えに来たのよ」と哀。 興奮気味の3人の言葉の後、コナンが訊ねた。 「・・珍しいな。博士んちじゃないのかよ?」 「いつも博士の家にお邪魔してばかりじゃ悪いからって。だから、今日は博士も歩美のお家に呼んでパーティするの。ケーキも歩美とお母さんで作るんだよ」 楽しそうに話す歩美と、その後ろに楽しげな表情を浮かべた光彦と元太がうんうんと頷いている。 「・・おめーら、昨日会った時何も言わなかったじゃねーか」 遠回しに断るつもりで、コナンは言葉を紡いだ。 「何言ってるんですか、今日は全国どこでもクリスマスですよ。言わなくても予測がつくでしょう!」 「大丈夫だよ、プレゼント用意してなんて言わないから〜」 光彦と歩美が笑顔で返してきた。 つまり、前もって連絡せずとも彼らの中では参加は必須らしい。 (予測なんか付く訳ねーだろ・・) コナンは肩を竦める。だが、返事を口にするより前に、それまで黙っていた蘭が口を開いた。 「行っておいでよ、コナン君」 密かに自分の意志に反した蘭の言葉に、コナンの行動が鈍ったのを誰も気づかない。 「え?でも」 「せっかく迎えに来てくれたんだから。ね?」 にっこり微笑みを向ける蘭に言葉を返す間もなく、歩美達に引き摺られるようにしてコナンは探偵事務所を出て行く羽目になった。 「さーてと」 子供達が帰った事務所を閉め、蘭は自宅へと向った。 「とりあえず、材料買っちゃったし・・・」 小五郎がいなくても、コナンがいるのなら作るつもりだったケーキをどうしようかと迷う。 多分今日は博士の家にでも泊まってくるのだろうと、思ったから。 でも、今日の為に買ったトッピングのフルーツとか、あまり日持ちするものでもない。 買い物袋の中身を冷蔵庫に詰めながら、考える。 (作っちゃおうかな・・どうせ暇だし) 家の台所で材料を広げ、ケーキ作りに取りかかる。 なんだか不思議な感じがした。料理は好きだが、これまでさして目的もなく作る事はなかった。 料理を始めたきっかけは、母の英理が家を出ていってしまって、家事をする人がいなくなってしまったからで、蘭の作ったものは必ず小五郎が食べていたのである。 事件で遅くなって、夕飯に手を付けない事は多々ある事だが、最初から食べる人が見当たらないものを作る事は今までなかったから、少し寂しい気がしていた。 別に、クリスマスだからという訳でない。 世間では、恋人同士が集う記念日と称されているけれど、蘭にとってクリスマスは別物で。 季節柄、街全体が浮かれて賑いを見せる空気に後押しされながら、昔は両親と一緒に、そしてそこに新一と両親が加わり、最近では毎年ケーキを焼いたりして園子と楽しんだりしていた。 好きな人達と時間を分け合って過ごす日。 ただ、コナンが来てからといもの、家で一人過ごす事が少なくなっていたせいで、急に家の中が広く感じていたのだ。 今日がクリスマスというだけあって、周りの賑やかさが余計に寂しさを感じさせているのだと思う。 だんだん気落ちしていく思考に気付いて、それを振り払うように首を左右に振る。 「何考えてるんだか」 じっとしていると、余計なことを考えてしまいそうだった。 明日の夜になれば小五郎もコナンも戻って来るはず。大きめに作って、後で英理にも持っていこう。 気を取り直して、蘭はケーキ作りに取りかかることにした。 「コナン君、さっきから窓の外ばかり眺めてどうしたの?」 「あ、悪ィ。」 ふいに声をかけられて、コナンはバツが悪そうに答えた。 「・・・これ、食べない?歩美が作ったんだ」 差し出されたのはチョコレートケーキを切り分けたもの。 歩美の家に着いてからというもの、ろくに皆に加わわらず、ほとんどうわの空で窓の外を眺めているコナンに、わざわざ持ってきてくれたらしい。 「ああ。サンキュ」 「・・・どうかしたの?」 「へ?」 「なんかつまらなそうだから」 「そんなことないよ」 「本当?」 不安そうな表情で言われて、慌てていつも通りに笑ってみせた。 歩美に好かれている自覚はある。 小学生の子供の恋愛ごっこだとは思うが、それでも自分が傷付けていると思うと、悪い気がした。 コナンが笑った事に気を良くした歩美は、途端に表情を明るくし、後ろ手に持っていた小さな箱をそっと差し出した。 「これ歩美からクリスマスプレゼントなの」 「あ、ありがとう」 「皆色違いでおそろいなんだよ」 開けてみて、とせかされて中身を見ると、綺麗な藍色のガラスのキーホルダーだった。 「・・・何するか迷ったんだけど、このガラスの色がコナン君っぽいなって思って、決めたんだ」 頬を赤らめて、はにかんだ表情で話す歩美をコナンは黙って見守っていた。 歩美には悪いが、コナンにとって恋愛対象にはなり得ない。 見かけの年齢はどうあれ、実際の年齢は10歳以上上なのだ。尤も、それ以前に、他に思いを寄せる相手がコナンにはいる。 でも、歩美の素直さを羨ましく思った。 一生懸命に想いを伝えてくれようとする。自分に正直に、まっすぐに感情をぶつけてくる勇気に、思い知らされる。 自分は、彼女よりもずっと長い時間生きて経験しているはずなのに、彼女の半分も想いを伝えられない気がした。 「吉田さんに悟られちゃうほど、気になって仕方ないって感じね」 歩美が台所に行ったのを見計らって、声をかけられる。灰原だ。 何の事を言っているのか瞬時に察して、むっとする。 「・・別に。んなんじゃねーよ」 「そぉ?」 意味深に笑われて、ますます面白くない。 本当は。さっきから気になって仕方ない。 もともと断るつもりだったのだから、余計気になる。 ポケットの中にある携帯を手で探る。今日は一度も鳴っていない。 少し前に蘭には番号を教えていたから、ひょっとしたらなんて、事務所を出てからずっと気にしていた。 (・・かかってくる訳ねぇか) 小さくなってからというもの、自分の蘭に対する感情を事ある毎に自覚していたにも関わらず、やっぱり素直になれない自分 にむかついた。 組織だとか、危険だとかを差し引いたとしても。 ふいに時計を見ると8時を回っていた。 子供たちには無視されっぱなしのテレビをちらりと見遣ると、コナンは無言で上着を引っつかんだ。 部屋の入り口で、台所から戻ってきた歩美と鉢合わせした。 「え?コナン君?」 びっくりして引きとめようとした歩美を気にする余裕すらなく、コナンは外へ飛び出していた。 すっかり出来上がってしまったケーキを冷蔵庫に入れて保存する。 ケーキ作りの最中に、つまみ食いをしていたせいで夕飯は食べる気がせず、蘭は居間のソファに腰掛けるとふっと小さく息を漏らした。 ふいに部屋に音がないのに気づいて、テレビのリモコンを手に取る。 急に笑い声が画面から響いた。 特に何が見たい訳ではなく、とりあえず付けっぱなしにして、蘭は自室へ向う。 机の上に置かれた携帯が目に止まる。 電話をかけてみようか。 携帯を手に取って眺める。 かける相手は、1人しか思い浮かばなかった。 かけても出ないかもしれない。忙しくて大抵留守電だと言われた番号。未だかけたことはない。 ディスプレイに目当ての番号を表示させて、じっと見つめる。 暫くして、画面を待受に戻すと溜息を吐いた。 かけられない。留守電になっていると分かっている携帯にかけるなんて、余計虚しい。 それに、新一だって暇な訳はない。用事もないのに電話をしたら迷惑だ。 (バッカみたい、私・・) あいつは幼馴染ってだけなのに・・。 単なる幼馴染は、クリスマスに声を聞く相手ではない。 去年も、クリスマスだからって一緒に過ごすことはなかった。昔、園子が自宅で開いたパーティに2人揃って呼んでもらった事はあったけれど、クリスマスというよりは忘年会のようなものだったし、関係ないといえば関係ないのだ。 ・・・それにもし新一が出たら何て言うつもりだったのか。 無意識に声を聞きたいと思った自分に恥かしくなる。新一はどう思うだろ。 (笑われちゃうよ) からかわれるのは嫌だ。 どれくらい経ったのか。携帯を眺めながらぼんやりとしていると、家の電話が鳴り響いた。 ぼうっとしていた思考回路が覚醒する。気を張り直して引き締め、受話器を取ると、こちらが声を発する前に聞きなれた声が聞こえてきた。 『蘭ねーちゃん?』 「・・コナン君?どうしたの?」 『今から外に出られる?』 「出られるけど・・どうしたの?」 受話器から騒音が聞こえてくる。どこか外からかけているらしい。 『来れば分かるから。外に出てきてよ』 そう言って、一方的に電話は切れてしまった。 コナンはどこからかけてきたんだろう。 まだパーティーが終わるような時間ではない。 何がどうなっているのか、よく分からないまま、とりあえず上着を羽織り、マフラーと手袋を身につけると、蘭は家の外へ出ていった。 外は雪が降っていた。 場所的にこの時期に雪が降るのは珍しく、今まで12月に降ったことはなかった。 珍しい景色を目の当たりにして、蘭の表情に自然と笑みが浮かぶ。 「・・・・綺麗・・・・」 「こういうの、好きでしょ?」 ふいに声をかけられて、降り返ると、視線の先にコナンが佇んでいた。 「・・・これを見せるために、わざわざ帰ってきたの?」 「ん・・まぁね」 数歩歩いて蘭の横まで来ると、コナンは得意げに笑った。 「もぅ・・子供は気を使うものじゃないのよ?」 せっかく皆が誘ってくれたパーティー抜け出して来ちゃったんでしょう? 気遣ってくれた事を嬉しいと思いつつも、つい言ってしまう。 そんなに寂しそうな顔してたかな、なんて思って哀しくなる。 「違うよ」 蘭の気持ちを見透かしたかのように、はっきりした口調が遮った。 思わず斜め下のコナンに視線を向けると、逸らされない瞳は優しく力強くこちらを見つめていた。 誰かに重なって見えた。 「僕が蘭ねーちゃんと見たかったんだ」 およそ子供らしくない物言いに、不覚にも心臓が音を立てて慌てだした。 なんでこんな表情。こんな口調なんだろう、と頭の隅で思う。 気障で、こんな子供が言う事じゃない。 でも相手が目の前の少年だと心のどこかで嬉しくなっている自分に気づいて、蘭は取り繕うように苦笑する。 「・・・・おませさんね、コナン君」 指摘されて、コナンはバツが悪そうな顔をして視線を泳がす。 「でもホントだから」 コナンの言葉に蘭の瞳が僅かに揺れたように見えたが、言い訳はしたくなかった。 それでも子供口調で本音を零す。全部は届かなくていい。 何かを言おうとした蘭のきを逸らそうと、コナンは蘭の袖口をくいと引っ張た。 「ちょっと散歩しよう?」 少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。 「・・いいよ。でもコナン君寒くない?」 コートは羽織っているものの、マフラーも手袋もしていなかった事に言われて初めて気付く。 思わず、上着だけを持ってきてしまった事に苦笑する。 「平気だよ」 「でも風邪ひいたらまずいし・・家に取りに入ろうか?」 実のところ、走って戻ってきたせいで、コートだけでも全然寒くなかった。 それでも気にしている蘭に、必要ないと首を振る。 「じゃあ、こうしていい?」 「え・・・」 コートの袖口を掴んでいたコナンの手がそのままするりと蘭の手を掴んだ。 驚いてコナンを見ると、悪戯っぽい笑みを浮かべている。 手を繋いで歩くなんて、今まで子供と保護者として日常茶飯事だったのに。 今しがた見たコナンが普段と違い過ぎて意識してしまった。 「・・だめ?」 「・・・あ、う、ううん・・」 動揺を隠し切れなくて、顔を見られないように歩き出す。 1度意識してしまった心臓は勝手に跳ねて、頬が熱い気がした。 何か話して誤魔化そうとしても、言葉が浮かばない。 そんな蘭を知ってか知らずか、繋いだコナンの手にそっと力が込められて、はっとする。 身長差のせいで、隣を歩くコナンが今どんな顔をしているのか、蘭には分からなかったけれど。 雪が、頬をかすめて溶けて落ちていく。 吐く息が白い。だけど、とても暖かかった。 |